田村先生プロフィール

時間が経つほど意識して事故の恐ろしさを伝えていく

淡輪
どんなに生々しい記憶でも、時間とともに薄れていくのは、やむを得ないことです。しかし、尊い人命まで失った岩国大竹工場での事故の記憶は、風化させてはならない。事故について期首講話会などで折に触れて社員に伝え、「安全は企業存続の大前提」であり「安全は全てに優先する」ことを繰り返し発信しています。
ただ、事故から4年が経過し、事故後に入社した社員も増えつつあるのが現状です。若い世代に対して事故をどう語り継いでいくか。時間が経てば経つほど意識していく必要があります。写真だけではなく当時損傷した機器や破片など現物を保存し、いかに破壊力がすさまじかったか、その恐ろしさを伝えていきたいです。
田村
トップが安全に対する強い思いを語ることは、安全文化を醸成していく上で非常に意義があります。トップの役割としては、まず安全の理念や方針を明確に打ち出すこと。そして、それを理解した現場は、主体的に安全活動に取り組むことが重要です。また、そのような活動ができる環境づくりも経営者や管理者の役割だと考えます。ヒト、モノ、カネの経営資源を用意したり、表彰制度を整えたり。表彰制度は「一生懸命取り組んでいればきちんと評価する」という会社からのメッセージになります。
さらに、経営トップの方々には、現場に出向いて社員と意見交換していただきたいですね。これは現場で働く方たちのモチベーションの向上に大きな影響があると思います。
淡輪
おっしゃるように、安全確保に王道はありませんから、現場に足を運んで、地道にメッセージを繰り返し伝えています。国内なら年2回、海外関係会社なら最低でも年1回を目指して、幅広い層の社員と直接交流することに努めています。
「安全は守られて当たり前」という意識が強いので、褒めることにつながりにくいのが実情です。しかし、地道に続けている活動をきちんと評価して、安全文化を醸成していきたいと思います。

自己評価と第三者評価を組み合わせ強みと弱みを自覚する

―― 先生は「安全は他者から与えられるものではなく、自ら感じ取るもの」と強調されています。具体的にお考えをお聞かせください。

田村
最近の産業事故を見ていると、日本のものづくりの強みであった現場力が少し弱くなってきたと感じます。現場力を取り戻していくために、安全確保の環境醸成ができないかと考えています。
まずは自分たちの安全の状況がどうなのかを自覚することが出発点です。つまり自分たちはどこが強いのか、弱いのかを知ることで初めて有効な対策が取れます。その上で、自社や他社の好事例を集めて体系化し、自らが考え、納得した方法で自分の職場に合った安全活動に展開していきます。そうすることにより安全意識が芽生え、継続していくことで安全文化が醸成するのだと思います。
淡輪
今のご指摘の重要性は、我々も痛切に感じています。自分たちで考え、行動できるかどうかが大事。上からの押し付けになってしまうようでは、安全活動はなかなか身に付きません。自分たちが確実に守れるマニュアル、SOP(標準作業手順書)が必要です。そのために、本当に守るべきレベルは何か、きちんと議論し納得して作成し、それらに基づいて行動することが大切なのだと思います。
田村
現状を知るための評価には、二つあると考えています。一つは自らが評価すること。そしてもう一つは第三者評価です。自己評価は、「やはりここが弱いのか」と実感することに意義があり、改善を進めていく上で重要なプロセスです。しかし、これだけでは客観性に欠けるため、第三者からの評価を加えることが効果的でしょう。自分たちが気付かなかった強み、弱みが見えてきます。安全工学会の保安力向上センターの保安力評価などが活用できます。客観的な評価のためには、リスクアセスメントも鍵を握ります。そのプロセスは、第一にハザード(危険源)を抽出すること。そうすれば、リスク評価して必要により安全対策を取る等リスクマネジメントのステップに進んでいけます。しかし、ハザードの抽出に漏れがあると、リスク評価もできず、安全対策も取れません。ハザード抽出の漏れをなくすために、第三者評価等も含め多くの視点で、危険に対する感度を高めていく必要もあるでしょう。

三井化学の抜本的安全対策3つの柱

―― 当社グループでは、安全文化の醸成に向けた抜本的な取り組みを続けています。これまでの手応えと、今後注力していくべきことは何でしょうか?

淡輪
私たちは岩国大竹工場の事故後3年間にわたり、抜本的に何が問題だったかを洗い出し、何が有効な対策なのかを徹底的に議論しながら進めてきました。このような取り組みは、ある程度定着しつつ、良いものになってきたのではないかと評価しています。
抜本的安全対策には、3つの重点課題があります。一つは、課長や係長など、現場のライン管理者のマネジメント範囲を適正化すること。世の中の流れとして、効率化を目指して組織のくくりを大きくする傾向がある中、ライン管理者にさまざまな負荷がかかり、現場をマネジメントしきれず、ゆえに安全に意識が向かいにくくなってしまったと考えています。このような事態を解消するために対策を打ち始めています。
田村
この問題は、各社悩んでおられるようですね。三井化学の取り組みは他社のモデルケースとなると思います。
淡輪
二つ目は、技術力の向上と伝承です。多くの工場で団塊の世代が集中的に退職する時代になり、急激に世代交代が進んでいます。採用で人数は補えるのですが、平均的に経験年数が少なくなってしまうことは避けられません。これをどのように解決していくかが課題です。一例ですが、当社グループは技術研修センターを備え、訓練を繰り返しながら、経験年数で足りない部分を補完していきます。
三つ目は、安全最優先の徹底とプロ意識の醸成、かつ業務の達成感を得られること。これまでの抜本的安全対策により体制はできましたので、今後はそれらを現場に落とし込み、自然にできるところまでもっていきたいです。
田村
技術伝承も各社に共通する課題です。プロ意識の醸成に関していえば、現場が頑張ればそれを評価し、褒めることでモチベーションをあげていくことが重要だと思います。ぜひ継続して実施していただきたいですね。今後はそれらの成果をどう評価するかも重要になってくるでしょう。

企業間、教育機関と連携し日本の安全レベルの向上を図る

―― 化学産業に関わる現場の人材育成について、どのようにお考えでしょうか?

淡輪
活動の基本は、安全文化を徹底させることです。これは課長、エンジニア、現場の社員、協力会社社員も含めてあらゆる層の人材育成の問題につながります。人材育成は座学だけでは難しいので、実際に体験し、肌で実感してもらうのが第一歩です。さらに、他社や他の工場と交流することで、自分の殻から一歩抜け出し、経験や考え方が安全文化として蓄積されていくのではないかと。
当社グループの技術研修センターは、安全を中心に取り組む体験・体感型の研修施設です。社外から見学を受け入れてきましたが、評判も良く多くのリクエストを頂いたので、2015年4月から社外にも開放しています。
田村
化学業界全体の安全技術の向上に寄与する価値ある取り組みだと思います。安全確保のためには人材が一番大事だということも、同感です。
事故やトラブルの大きな原因は、先ほど述べた現場力の低下があると感じています。その背景の一つとして、安全にかかわる環境、考え方の変化があるのではないでしょうか。今の時代の子どもたちは、危険のない、安全な環境で育ちます。そのために危険を察知してそれを回避する術を身に付けるチャンスがなくなってきている。こういった社会的な問題に関しては、家庭教育から初等・中等・高等教育、そして企業での教育に至るまで一貫した安全教育の体系的なプログラムを作成し、各段階でしっかり取り組まなければならないのではないかと思っています。また、企業は、各社で安全教育を徹底するのはもちろんですが、企業間でのプログラムの共有化や、大学のプログラムとの連携も求められているのではないでしょうか。
国際的に日本が質の高いものづくりを続けていくために、オールジャパンで安全のレベルアップを進めていくべきだと考えています。この観点からも、三井化学に尽力していただきたいですね。
淡輪
ありがとうございます。我々も「ふしぎ探検隊」という化学の実験教室などを通じて、子どもたちに化学の力によってどのようなことが起こるのか、その面白さや不思議さを肌で感じてもらおうと活動を続けています。企業間としては、安全に関することは各社共通している部分も多いので、ビッグデータを共有するなどできる限り連携を図っていきたいと思っています。

各地域の特性に合ったかたちで安全文化を醸成していく

―― 海外拠点の安全教育については、どのようにお考えですか?

淡輪
基本的には、国内と海外で考え方や施策に違いはないと思っています。海外関係会社からの研修生も、技術研修センターで受け入れています。
しかし、これまでの経験から考えると、どの地域も画一的に取り組むのは現実的ではありません。それぞれの国の事情や文化に特性があるため、それをよく知る人に指導してもらう方が伝わりやすい。
田村
安全に関する分野は日本の強みです。その優れた知識・技術や考え方を各地域の事情に合った形で展開することは、大きなテーマですね。
このテーマと並んで私が最近関心をもっているのは、安全の経済効果です。産業技術総合研究所が中心となって、経済効果を評価する仕組みづくりの検討を進めているようです。
淡輪
安全を確保し続けることは、結果としてコストダウンに繋がるという認識は重要ですね。
田村
安全を確保するとこんなに効果があるのだということが明らかになってくると、より納得して安全活動が実践しやすくなるでしょう。

―― 最後に

安全はすべてに優先する―安全は企業存続の大前提です。 社員ひとりひとりが「安全は、自分自身のため、家族のため、同僚のため、社会のため」という認識を絶えず持ち、地道に安全文化の醸成に取り組んでいきたいと思います。


進行 : 生産・技術本部 安全・環境技術部長 出口 敦


東京大学
田村 昌三 名誉教授

1969年
東京大学大学院工学系研究科燃料工学専門課程博士課程修了
東洋紡(株)(旧東洋紡績(株))に入社
1977年
東京大学工学部反応化学科講師に着任
1990年
東京大学工学部反応化学科教授 以降要職を歴任
2004年
東京大学退官後、名誉教授
専門
窒素酸化物の化学、エネルギー物質化学、安全の化学 等
学会・団体関係
火薬学会、安全工学会会長歴任、総合安全工学研究所理事長、災害情報センター理事長 等